タイの歴史

●先史時代
 東南アジアでの人類の居住は、50万年以上遡る。最近の考古学の研究によると、 紀元前4000年までには、現在のタイに初期の青銅器文明の中心地としてコミュニティーが出現したとされています。
青銅器文明の発展により、水稲の耕作技術も向上し、マレー人、モン族およびクメール民族の文明が繁栄していた。
タイ人の祖先は、紀元前頃南中国の雲南省辺りに分散して部族国家を形成していたタイ語系民族である。タイ語系民族が 肥沃なタイの稲作適地を求めて、先住民族のモン・クメール系民族を駆逐しながら徐々に南下してきたのが始まりと言わ れています。
13世紀になるとスコータイ付近にタイ民族の最初の統一国家「スコータイ王国」を作りました。
以来700年余りの間に、タイ民族による4つの王朝の興亡が繰り広げられます。

●スコータイ王朝(1238年〜1350年)
 中国雲南から険しい山々を越えて南下したタイ族の祖先たちは広大なスコータイ平野にたどり着く。
当時、その地はインドシナ半島の全域に領土を拡大したアンコール王朝が待ち受けていた。タイ族は最初、 この王朝の支配下に置かれていた。
しかし、13世紀になるとアンコール王朝は衰退し始めた。
1238年、スコータイ王朝の始祖"イントラチット首長"は、アンコール王朝の衰退に乗じて、これを倒した。
そして、タイ族のスコータイ王国(幸福の夜明けを意味する)を設立し、初代王となりました。
これがタイ民族による統一国家の始まりとなりました。
始祖の三男でタイ史上三大大王の一人といわれるラムカムヘーン王が、1277年に三代目の王として即位しました。
ラムカムヘーン王の善政により最盛期を迎える。スコータイ王国は飛躍的に国力を伸ばしラオスからシンガポール辺りにまで 領土を拡大した。王は領土を広げたばかりでなく、セイロンから仏教を取り入れ国教にする。タイ文字を制定したのもこの頃です。 「田に米あり、水に魚あり」とうたわれている大王碑文からも、その繁栄が伺える。また、中国から陶工を呼んでスコータイ焼や 窯場を開かせたり、国王自ら人民の声を聞き、交易の自由を許し、租税の免除を行うなど、内政面、文化面でも多くの実績を上げました。
しかし1317年に大王が亡くなると、スコータイは急速に力を失いました。そして1350年、チェンライから興った ウトーン王によって滅ぼされました。
ウトーン王はアユタヤーに首都を遷し、ラーマティボディー1世を称して王位に即き、 国号をアユタヤーとした。
スコータイ王国の栄華はわずか100年ほどの短いものでした。スコターイは今も多くの人から理想郷と崇められています。
ユネスコの世界遺産にも登録された遺跡は見学者が絶えません。

●アユタヤー王朝
 アユタヤー王朝は1351年、スコータイ王朝を滅ぼしたラーマーティボーディー1世を始祖として建国された。
ラーマーティボーディー1世タイの歴史に対して2つの重要な貢献をしている。
1つは、上座部仏教を公式の宗教として設立し、推進したこと、すなわち、タイ王国と近隣のアンコールのヒンドゥー教国を区別したこと、 2つ目は、ヒンドゥー教由来の法典でありタイの伝統的な慣習となった、ダルマシャースートラを編集したこと、である。19世紀後期まで、 ダルマシャースートラはタイの法律を成す一部として残った。
1767年ビルマに滅ぼされるまで417年間続いた王国は、歴代33名の王が統治したが、王の直系がそのまま継承されたわけではない。
たび重なる王位継承問題や隣国ビルマの絶え間のない侵略があり、王国はいつも平和だったわけではありません。
16世紀中頃ビルマに制圧され、25年間もその属領となった時代もありました。
17世紀初頭、英雄ナレスワン大王の出現により、中央集権制確立、周辺諸国の交易、西欧貿易により大いに繁栄しました。
山田長政に代表される、日本人町が栄えたのもこの頃です。山田長政を主人公をした、著者白石一郎の「風雲児」にこの頃の 時代背景が細かく書かれています。小説も面白いので、一度読んで下さい。
18世紀中旬、ビルマ軍がアユタヤーに侵攻して来ました。すでに国力が衰えていたアユタヤは14ケ月間もビルマ軍に包囲された上、 1767年4月7日から8日にかけての総攻撃に耐え切れず、400年余りの栄華を誇ったアユタヤ城市は一夜にして廃虚と帰したのでした。
33代の王の下、417年間続いたアユタヤ王朝はここに完全に滅亡しました。しかし、混乱に乗じてアユタヤを脱出していた 将軍タクシンが、兵を建て直してビルマ軍を包囲、アユタヤを奪還して再建に乗り出しました。
アユタヤ王朝時代は、周辺国・西欧国貿易の発展、中央集権制の確立など、政治・経済面では注目すべきものがあります。
反対に、美術・芸術面ではあまり見るべきものがありません。
バンコクから近く、1991年に世界遺産にの登録されているアユタヤ城市遺跡は観光地として今も人気があります。

●トンブリ王朝(1767年〜1782年)
 400年間以上の王権の後、1767年に、アユタヤー王朝はビルマ軍の侵入により破滅し、首都は焼き払われ、国は6つに分割された。
タークシン将軍は、新首都トンブリーを拠点としてタイ王国を再統合することに成功し、1769年に王となった。
これがトンブリー王朝である。タクシン王は華僑を父とし、タイ人の母を持つ混血児だったといわれ、タイに多い中国系市民の支持を 受けていました。しかしその後、タークシン王は精神の病に侵されてしまい、1782年に部下のチャックリー将軍が 人々に推されて王位につき、ラーマ1世が誕生しました。こうしてトンブリ王朝は1代、わずか15年で終りを告げました。

●チャックリー王朝(1782年〜)
 チャックリー王朝の始祖ラーマ1世が、ラーマ1世はトンブリーからチャオプラヤー川を渡ったバンコクに新しい首都を設立した。
首都をバンコクに移したのでバンコク王朝とも呼ばれているのが現王朝です。
この王朝は歴代優れた王が現われています。
中でも4世(モンクット王 1851-1868年)と5世(チュラロンコーン王 1868-1910年)は、タイの近代化に大きな功績を残した 名君として史上に名を残しています。
モンクット王は即位前の27年間僧籍にあり、国中を巡歴し国民の下層事情に通じ、また西欧の学問に触れ、あらゆる面で近代的な思想 を持っていました。後に5世王となった王子チュラロンコーンに西洋人の家庭教師をつけ、近代的教育を施されました。
映画「王様と私」で有名です。ジュディー・ホスター主演の「アンナと王様」、タイでは王様の前にアンナの名前が付けられているのと、 史実をかなり脚色したと言うことで不評を買って上映禁止になりました。
1826年に隣国ビルマに英国が勝利した後、次第にヨーロッパ諸国の植民地主義の脅威に晒されるようになった。
アジア地域における西欧列強の力をタイが認識し始めたのは、1826年の英国との友好通商条約であった。
しかし、タイが西欧勢力との間に堅固な国交を確立したのは、その後のモンクット王(ラーマ4世)と 彼の息子チュラーロンコーン王(ラーマ5世)の統治中のことであった。
この2人の君主の外交手腕がタイ政府の近代化改革と結び付いたことによって、タイ王国はヨーロッパによる植民地支配から 免れた南・東南アジアで唯一の国になった、とタイ人は信じている。
チュラロンコーン王は学校制度、郵便事業、鉄道事業、道路整備、都市計画など、インフラの基礎を作りタイを近代国家 へと発展させました。

●絶対君主制から立憲君主制へ
 1932年のクーデターは、タイの政府を絶対君主制から立憲君主制へと移行させた。プラチャーティポック王(ラーマ7世)は最初この 改革を認めたが、その後、10歳の甥アーナンタマヒドンに王位を譲渡した。退位の際、プラチャーティポック王は、統治者の義務とは 万民の利益のため統治することであり、限られた小数のためではない、と言った。アーナンタ・マヒドン王(ラーマ8世)は1946年に 多少不可解な状況の死に方をしており、公式見解としては銃の手入れ中の暴発事故だという。彼に続いて王弟のプーミポン・ アドゥンラヤデートが即位し、タイ王国で最も長く王位に就き、タイ国民に非常に人気のある君主となった。その時期のタイが 立憲君主政体であったのは名目上であり、19922年の選挙までの間、短期間の点々とした民主主義以外は、一連の軍政(最も顕著なの はピブーンソンクラームとサリット・タナラットによる)に動かされた。1992年の選挙以降のタイは、政府が憲法上の手続きを踏んで 機能する民主主義国家となった。

●民主主義時代のタイ
 他の東南アジア諸国と同様にタイは、第二次世界大戦中に日本の影響下に置かれ、日泰同盟条約を締結、1942年1月25日に米英両国に 対してまで戦争を宣言した。日本の1945年の敗北以来、米英を支持した自由タイ(Free Thai、)というタイ人の団体の支援に よって、泰米関係は軍事面に置いて非常に親密な関係を保っている。
冷戦期は、ビルマ、ベトナム、カンボジアおよびラオスのような近隣諸国の共産革命に脅かされ、タイは共産主義の防波堤として 米国の支援を受け、東南アジア条約機構(SEATO)の一翼を担った。ベトナム戦争では米国側に立ち、ラオスおよびベトナムへの派兵を 行い、北爆のための空軍基地の開設も許可した。また、タイは米軍の補給・休養のための後方基地でもあったため、 タイは経済的に発展し、リゾート開発も進んだ。
近年、タイは経済も順調に推移しており、東南アジア諸国連合 (ASEAN) のリーダー的な存在である。近隣諸国の人治国家などから みると、法治国家・民主国家であるタイは何歩も先を行き、これからもますます成長し、先進国に追いつきそうな勢いを持っている。