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カンチャナブリーについて
 
【位置】
 バンコクから西へ約130km、ミャンマーとの国境に近い山間の入り口にカンチャナブリー県の中心地カーンチャナブリー市がある。カンチャナブリーは悲惨な戦争の舞台となった歴史を持つ一方、周辺には豊かな自然が残されている。バンコクからも近く、ぜひとも訪れたい場所です。
 
【食事】
 市街の中心、バスターミナル周辺に屋台が多く集まる。特に夜はいっそう賑やかになる。近くのショッピングセンターにはKFCもあります。クウェー川鉄橋駅の川沿いに観光客用のレストランがある。ゲストハウスが集まっているMae Nam Khwae RD(メーナム クウェー通り/クウェー川通り)沿いにもレストランやバーが点在している。
  カンチャナブリーの特産品は、さとうきび、キャッサバ(タピオカ)、ヘットコーン(きのこ)です。
 
【ショッピング】
 特にカンチャナブリーに来たからといって、お勧めするようなお土産はありません。ショッピングセンターは市内南東部にはロータス(MAP-C3)、バスターミナル近くにKANOK KAN(MAP-C2)があります。セブンイレブン、他コンビニも点在しているので市内に滞在中は身の回り品を買う事には困りません。
  カンチャナブリーはサファイアの産地としても有名です。市内から北へ30kmにあるBo Phloiという町で採掘されています。サファイヤを購入する際は、大きな専門店での購入をお勧めします。
 
市内滞在時の緊急】

・ツーリストポリス 034-512-795  局なし1155
  リバー・クウェー・ブリッジ駅前( MAP-A1)と、バスターミナル近くにある( MAP-C2

病院 
・Saeng Chuto 034-021-127〜36 MAP-C2
・Thanakan 034-622-359 MAP-C3

 
【歴史】
 先史時代より人が住んでいた痕跡があり、6〜7世紀のドヴァラヴァティ時代の遺物が多く残されている。また、13世紀にインドシナ半島まで領土を広げたクメール王朝の遺跡も存在しています。
  現在の町の基礎はアユタヤ時代にビルマに対する防衛のために形成された。ビルマとの度重なる戦闘により重要性を高めます。その後、ラマ1世の時代になり、町は整備され、金(カンチャナ)の都(郡=ブリー)を意味する「カンチャナブリー」と名前がつけられました。

 第二次世界大戦中に日本軍はビルマに物資を運ぶ為に泰緬鉄道(たいめんてつどう)を敷設した。戦時中、旧日本軍は海上輸送の危険を避けるべく1942年、ミャンマー戦線の物資輸送ルートを確保する為、建設を開始した。
  建設は迅速さを要求されたためミャンマー側・タイ側両方から開始した。ミャンマー・タイにはすでに多少の鉄道が建設されておりタイ側はノーンプラードックから、ミャンマー側からはタンビュザヤより建設を開始した。建設の作業員には日本軍1万2000人、連合国の捕虜6万2000人(1万2619人死亡)、募集で集まったタイ人数万(未知数)・ミャンマー人18万人(4万死亡)・マレーシア人(華人・印僑含む)8万人(4万2000死亡)、インドネシア人(華僑含む)4万5000人の労働者が使われた。
  建設現場は劣悪で特に工事の後半は雨季にも拘らずさらなる迅速さが要求され、食料不足からくる栄養失調とコレラやマラリアにかかって死者数が莫大な数(日本側とタイ・ミャンマー側の調査で食い違いが出るが、約半数と言われる)に上り、戦後に問題となった。特にヘルファイアー・パスと呼ばれる断崖絶壁の未開発の地帯では、工作機械不足と突貫工事による人海戦術のため死者が多かったという。
  これらの労働者の多くの犠牲のもと、何年も掛かると言われた建設が翌年10月には完成した。

  そしてこの町が世界中に有名になったのは、第30回アカデミー賞 作品賞受賞映画「戦場にかける橋」の影響が大きい。
 映画の内容は、第二次世界大戦の泰緬鉄道工事を題材にしたものであり、1943年のタイとビルマの国境付近にある捕虜収容所を舞台に、捕虜となったイギリス軍兵士らと、彼らを強制的に鉄道建設に動員しようとする日本人大佐との対立と交流を通じ極限状態における人間の尊厳と名誉、戦争の惨さを表現した戦争映画であるまた、当然ではあるが事実と異なる脚色も多い。
  現在建設の中心部となった市内には連合国捕虜の共同墓地、慰霊塔、博物館、戦争記念館が建設されています。 (Wekipedia参照)
 
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