アユタヤー王朝は1351年、スコータイ王朝を滅ぼしたラーマーティボーディー1世を始祖として建国された。 ラーマーティボーディー1世タイの歴史に対して2つの重要な貢献をしている。 1つは、上座部仏教を公式の宗教として設立し、推進したこと、すなわち、タイ王国と近隣のアンコールのヒンドゥー教国を区別したこと、 2つ目は、ヒンドゥー教由来の法典でありタイの伝統的な慣習となった、ダルマシャースートラを編集したこと、である。19世紀後期まで、 ダルマシャースートラはタイの法律を成す一部として残った。 1767年ビルマに滅ぼされるまで417年間続いた王国は、歴代33名の王が統治したが、王の直系がそのまま継承されたわけではない。 たび重なる王位継承問題や隣国ビルマの絶え間のない侵略があり、王国はいつも平和だったわけではありません。 16世紀中頃ビルマに制圧され、25年間もその属領となった時代もありました。 17世紀初頭、英雄ナレスワン大王の出現により、中央集権制確立、周辺諸国の交易、西欧貿易により大いに繁栄しました。周辺国だけではなく、近隣アジア諸国、イギリス、ポルトガル、オランダ、スペインといった西洋諸国との交易も盛んになり、国際貿易都市として世界中にその名を広めました。 山田長政に代表される、日本人町が栄えたのもこの頃です。山田長政を主人公をした、著者白石一郎の「風雲児」にこの頃の 時代背景が細かく書かれています。小説も面白いので、一度読んで下さい。 18世紀中旬、ビルマ軍がアユタヤーに侵攻して来ました。すでに国力が衰えていたアユタヤは14ケ月間もビルマ軍に包囲された上、 1767年4月7日から8日にかけての総攻撃に耐え切れず、400年余りの栄華を誇ったアユタヤ城市は一夜にして廃虚と帰したのでした。陥落したアユタヤはビルマ軍の手によって建造物の多くは徹底的に破壊しつくされました。現在見られる、土台のみの寺院、崩れた遺跡、顔の無い仏像はこの時の破壊によってもたらされたものです。 33代の王の下、417年間続いたアユタヤ王朝はここに完全に滅亡しました。しかし、混乱に乗じてアユタヤを脱出していた 将軍タクシンが、兵を建て直してビルマ軍を包囲、アユタヤを奪還して再建に乗り出しました。 アユタヤ王朝時代は、周辺国・西欧国貿易の発展、中央集権制の確立など、政治・経済面では注目すべきものがあります。 反対に、美術・芸術面ではあまり見るべきものがありません。